【大隈塾サマリー】

【大隈塾サマリー】

2014大隈塾「21世紀日本の構想」
春学期第1回講義サマリー
日時:2014年4月7日(月)3限
場所:14号館B101
講師:田原総一朗氏(ジャーナリスト、早稲田大学特命教授、大隈塾塾頭)
テーマ:ガイダンス、大隈塾の心構え

●大学というのはどういう場所か
 小学校から高校まで、教室で考えたり教わったりするのは、「正解のある問題の答え」だ。しかし、社会で起きる問題には正解はない。たとえば、「アベノミクスが本当に正しいのか」という問いに答えられる人はいない。世の中のいかなる問題にも「ただひとつしかない答え」はなくて、それに対してどう挑戦するかを学ぶのが大学である。
 大学を卒業して、大企業に入ればいいということではない。そもそも大企業と言われているところも、君たちが課長になるときには、例外なくダメになっているだろう。大事なことは、大企業かどうかではなく、「何がしたいか」ということを心してほしい。
 
●なぜ80歳でもここまで働けるのか
 私はまもなく80歳を迎えるが、今も忙しく働いている。その原点が、小学5年生の8月に聞いた終戦の玉音放送だ。「聖戦」だった戦争が「侵略戦争」となり、東條英機らが犯罪者となった。社会の価値観が180度変わったのだ。この経験から「偉い人の言うことは信用できない」「国家は国民をだますものだ」と学び、ジャーナリストになった。
 大学を卒業して入社した岩波映画、そしてテレビ東京は、当時三流だった。負け惜しみで言えば、「三流だからよかった」と思う。安い撮影費用でTBSにもNHKにもできない番組を作らなくてはいけないから、常にヤバイ番組を「塀の上を走る」つもりで作り続けた。三流放送局にこそ、自分の作りたい番組を作る自由がある。しかし、やりたい放題やっては何度も仕事から干された。
 干された時に原子力について取材した。原子力反対運動を取材すると、それをやめさせる嫌がらせの市民運動が起きた。その元を辿ると、電通の仕掛けだとわかり、雑誌の連載で書いた。その結果、電通のテレビ局へクレームが入り、テレビ東京から会社を辞めるか連載を辞めるか迫られ、迷わずテレビ東京を退社した。筑紫哲也さんには「テレビ東京と違って朝日新聞は簡単に辞められない」言われたが、私もそう思う。一流会社に入ると定年までいてしまうのだ。
 私が80歳でも現役でいられるのは、①スポンサーをつかむこと②視聴率を取る③話題になる、の3点を大切にしてきたからだ。たとえば先日、山口那津男公明党代表を番組に呼んで議論をして、「集団的自衛権反対だ」と明言させた。話題になる人が私の番組に出てくれるのは、私のことを信用しているからだ。自民党も共産党も私のことを信用している。共産党の志位氏から「安全保障について話したい」と相談された。
 ここまで信頼されるのは、「徹底して陰口を言わないこと」と「人格を否定しないこと」を守ったからだ。社会で活躍するには人から信頼されるのが肝要だ。

●自分の頭で考える
 自分の頭で考えない最悪の例は、みずほ銀行の騒動だ。誰もが「不正なことはやめよう、と言えば左遷される」と思っていたのが、暴力団への融資をやめられなかった原因だ。
 日本経済が失速したのは、日本の経営者が守りの姿勢に入ったからだ。高度成長の要因は、経営者が新しいものに挑戦したからだ。アベノミクスの目標はこのようなチャレンジ精神を復活させることにあるが、経団連は「社外役員登用の法制度化」にNOと言っている。大学も「非正規雇用の5年以上勤務社の正規雇用化」を受けて、5年を前に首切りを行なった。誰もこういうことに対して声を挙げなくなったが、正解のない問に対して自分で考え行動しなければならない。そういう社会になったのだと認識して、頑張ってほしい。

【ディスカッション】
ーー田原さんの時代はデモなど声をあげる人が多かったと思うが、今は講義中に手が上がることは少ない。しかし、教育そのものは変わらないと思うが、何が変わったのか?
田原先生:早稲田にも全共闘時代があった。その頃はみんな「権力を倒せば社会が変わる」と思っていた。当時の権力者は強かったが、今の権力者や経営者には力がない。駒崎弘樹くん(フローレンス代表)が「僕達には倒すべき相手がいない。敵にすらならない」と言った。敵がいなくなったことが声のあがらなくなった理由だと思う。ただ、安倍晋三さんはいい敵になるかもしれない。
ーー高い価値を発揮できるビジネスマンになるために、大学生がやるべきことはなにか。NOと言える人間や組織を作るためにはどうすればよいか。
田原先生:「守りの姿勢」の会社には入らない方がいい。小松製作所は、景気が悪い時、経営が最悪だったが、大リストラや部門の整理など「攻めの経営」を行なった。攻めの経営を行う企業では、進言すれば受け入れられる。ただし、進言できるのは3年働いてからだ。入社してまずすべきなのは、自分の仕事を楽しくする工夫をすることだ。楽しく働いていれば、周りの人が話を聞いてくれるようになる。最初の3年はやめずに働かなくてはいけない。もう一点は、自分の頭で考える社員になることだ。ダメなときは我慢することも必要。
ーーNOと言えない空気感が醸成される原因は何か
田原先生:日本がもともと農耕社会だったことにある。農耕社会では、みんなと同じことをすれば生き残れる。農耕社会で一番恐れられるのが「村八分」で、それは今日の人と違うことを恐れる空気につながっている。しかし、「キャッチャー型(経営者が投げるボールを取る人間)」を求める社会から、「ピッチャー型(自分のアイデアを投げられる人)」の人材を求める社会になりつつある。ユニクロの柳井正は「一部上場企業の社員は仕事をしていないで、上から言われたことをする『仕事をしているふり』をしているだけ」と言っていた。
ーーなんで「守りの経営」が原因だと言い切れるのか
田原先生:一番変わったのは経営者の質だ。ソニーの盛田昭夫さんは、占領軍のテープレコーダーを見て、これはおもしろいと作り始めた。こんな話はいくらでもあるが、日本の経営者は2代3代と引き継ぐ中で、守りになり「自分の意見を聞く人」だけを重用するようになった。
ーー田原さんはなぜ早稲田に入ったのか
田原先生:高校までは作家になりたいと思っていた。早稲田の同人雑誌に入りたいと思っていたが、石原慎太郎の「太陽の季節」と大江健三郎の「飼育」を読んで、作家になることを諦めた。作家になるなら早稲田の文学部しかないと思ったから、早稲田に入った。
(TA 政治経済学部4 岡本大)